相模友士郎『LOVE SONGS』
演劇
2019年1月12日[土] 18:00開演、13日[日] 15:00開演 ※開場は開演30分前を予定
会場|京都市東部文化会館 ホール
観客のまなざしが、
不在の「あなた」を呼び起こす無人劇

70歳以上の伊丹の高齢者たちと制作した『DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー』(2009年)で鮮烈なデビューを果たし、その後も様々なコミュニティに入り込みながら創作を続け、劇場で「見る」体験の再構築に挑む相模友士郎。一人暮らし、公団、川、歌、植物、庭・・・様々なものを足がかりにしながら今回相模が構想するのは、誰もいない舞台。だが、やがて劇場からは縁遠いらしい、なにかの声が聴こえてくる。相模が山科で実際に生活しながら得た「語り」を劇場に召喚し、劇場空間を満たすとき、わたしたちは何を、そして誰を想像するだろうか。

構成・演出|相模友士郎 
ドラマトゥルク|細馬宏通(滋賀県立大学教授)

舞台監督|夏目雅也
照明|高原文江
音響|西川文章
演出補佐|山田咲 
制作|清水翼
地域ドラマトゥルク|上原由佳、藤沢重徳、皆川由起

プレトーク「相模友士郎×白井剛「『モノ』に呼びかける」」

演出ノート

植物と演劇をする

1、山科に引っ越した8月23日は台風の前日で、引っ越した部屋には広い庭があって、庭の奥には細い竹が植わっている。その竹が庭と向かいのアパートとの境界を仕切っている。その竹が強風で右に左に、手前に奥に弾けるようにしなり、テレビ線だか、ネット線だかのライフラインが竹に絡まり引きちぎられそうになっている。危機的だ、と思った。カーテンも家具もテレビもネット回線もない部屋で、窓越しにその光景を見ていた。

2、植物はわたしたちの境界を区切るために植えられる。しかし、植物たちはわたしたちの社会とはまったく無関係な時間の中で存在している。

3、今、このメモを書いている部屋から庭に目をやると、変わらず庭では竹が揺れ、名も知らぬ草木が育ち、枯れている。一方で私の部屋に目をやると書類や本、グラス、カメラ、椅子などが昨日と同じ場所で同じように留まっているが、これらも私によって片付けられ、収まる場所に収められるだろう。

4、庭と部屋。この2つの場所は同一の時間と共に変化し続けているが、庭には人為的なものを無視した植物的な時間の変化が、部屋には私によって動かされる人為的な時間の変化がある。仮に演劇の時間というものが私の部屋に流れるような人為的な時間の変化だとしたら、植物的な時間を演劇で扱うことはどのようにして可能だろうか。

5、時間そのものを見ることはできない。一方でふと庭に目をやると時間の変化に遅れて気づかされることがある。わたしたち人間の生活が時間を忘れることで保たれているとすれば、「植物と演劇をする」とは、植物的な時間を通して時間そのものに触れる試みである。

6、人は眠る。

相模友士郎|演出家。1982年福井生まれ、福井市在住。70歳以上の伊丹の高齢者たちと制作した『DRAMATHOLOGY/ドラマソロジー』(2009年)で鮮烈なデビューを果たし、その後も様々なコミュニティに入り込みながら、劇場で見るという身体的経験を問い直す上演を続ける。12年にダンス作品『天使論』(TPAM in YOKOHAMA 2012)を発表、各地で再演を重ねる。最近作に、『スーパーインポーズ』(まつもと市民芸術館、福井市文化会館 2016年)、ダンサーの佐藤健大郎との共同制作による『ナビゲーションズ』(14年) など。

細馬宏通|1960年生まれ。滋賀県立大学人間文化学部教授。専門は声と身体動作の時間構造研究。著書に「二つの『この世界の片隅に』」「浅草十二階(増補新版)」「絵はがきの時代」(青土社)、「介護するからだ」(医学書院)、「うたのしくみ」(ぴあ)、「今日の『あまちゃん』から」(河出書房新社)、「ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」(新潮選書)など。