投稿者: 山科区チーム
2017.11.15
山科は「通過」の街?
みなさんこんにちは!山科区チームです。
今回は、8月6日のプレゼンテーションまでの山科チームの歩みを振り返り、今後について
も少し触れたいと思います。
山科は「通過」の街?
山科にはJR、京阪、地下鉄の3路線が通り、毎日多くの人が行き交っているものの、目的地になりづらい地域である。そんな印象はかなり初期から見えてきていたように思います。
「通勤通学」や「渋滞」、京都中心部の碁盤の目とは異なる「くねくね道」など移動に関するキーワードが上がっていました。
私たちのチームには滋賀出身、在住の方がおり、滋賀から見た京都のという視点があったことも大きく影響していると思います。
「車石」に光を当てる
私たちが最初に「これを推していこう」と思ったのは「車石(くるまいし)」。
車石とは大津から京都の街を結んでいた道に敷かれた石です。重い米俵を積んだ牛車が通るため、石には自然と溝ができています。
車石を取り上げることで、鉄道が開通する前も山科は多くの人が行き交う場所であったという歴史とのつながりが見えてきたように思います。
山科問題にぶち当たる
6/25に奈良文化財研究所から惠谷浩子さんにお越しいただき、レクチャーを受けました。そこでぶち当たったのが「山科問題」。山科問題とは、今回のワークショップのテーマである「フィルター」に当たるものが山科にはないのではないか、ということ。
「フィルター」とは例えば、鞍馬の山で採れたものを北区で加工して洛中に届ける、というような流れのこと。
砥の粉(山科で採掘・生産されている粉で伝統工芸に欠かせないもの)なども存在しているのですが、確かにCIRCULATION KYOTOのテーマに一致させるためには工夫が必要なようです。
そして迎えたプレゼンの日
いろいろと悩みながらも、「山科通勤通学家族」というひとつのメディアに行きつき、発表の日を迎えました。
山科には自主独立の精神が根づき、地元コミュニティの活動は非常に活発です。
ですが、外と内の交流は少なめのよう。外の人が山科で降りるような何かがあれば、流れが変わるのでは?外の人と言っても、縁もゆかりもない人を引き寄せるのは難しいかも。でも、山科には毎日通っている人がたくさんいるじゃないか?というところから発想が広がっていったように思います。
デザイナーが多い山科チームはアートワークにもこだわり、実際に手で触れられるものまで落とし込むことができました。
プレゼンの評価では、やはり山科の内の人と外の人の意見や意識の違いを感じ取る部分もあり、これから作っていくメディアの存在意義を感じました。
「降りる」だけでなく、「通過している最中にヒットする」メディアもありかも、など新しい視点を得ることもできました。
山科チームのこれから
プレゼンまでは、仕事や学業が忙しいメンバーも多く、現地に行く機会が他のチームより少なかったかもしれません。ということで、今は山科のキーパーソンと会う機会をセッティングし、つながりを深めています。
9月下旬には山科のボランティア団体「ふるさとの会」(注1)事務局長である鏡山次郎さん、10月上旬には山科との地域連携を活発に行っている橘大学の小辻先生へのヒアリングを実施。また、10月に山科で開催された「やましな駅前陶灯路」や「山科バルフェスタ」、「清水焼の郷まつり」に参加し、メディア作成の情報収集を行いました。